プロフィール

こんにちは、“自分再発見” 望む未来が最速で見つかるカウンセラーの山田浩司と申します。

ADHDとHSPの気質を持っています。

カウンセリングを申し込む時に、気になることは何でしょうか?

幾つかあると思いますが、私は、一番大切なことはカウンセラーとの相性だと思っています。あなたが同じように思っているなら、助けになるように、私のプロフィールを書いています。読んでくれたら嬉しいです。

【誤解され易かった少年期】

「集中力」は優れた才能なのですが、場面を選んだりコントロールする、といったことができないと、社会性という視点では大きな欠点となってしまいます。私の経験をお話します。

私の育った地域は新興住宅街で、10分も歩けば2つの牧場があり、田畑、果樹園が普通にあり、古くからある宅地へは雑木林の中を抜ける道でつながっていました。ホタル、トンボ、クワガタやカエルが普通に見られました。

学校帰りに我慢できず追いかけ廻しているうちに、宿題を忘れてしまうことも珍しくありませんでした。また、授業中に先生の話が分からくなると、じっと座っていることが辛くて出来ませんでした。それで、担任の先生から両親への連絡簿には「じっとできない落ち着きの無い子供」と、書かれていました。一方で、授業中に興味の湧いた文章を、先へ先と読むことに熱中し、先生に名指しされても気づかないことがあったので「話を聞かない」とも書かれていました。

つまり、課せられた「やらなくてはいけない」事柄よりも興味が向く方向に進んでいき、課せられたことであっても興味が無ければ、難易度に関係なく取り組むことが困難だったのです。

また、一旦なにかを始めると途中で止めらないこともありました。例えば、学校の図書館にあったシャーロック・ホームズ、アルセーヌ・ルパン、シートン動物記、怪人二十面相、平家物語、宇治拾遺物語、論語などを低学年のうちに読破していました。本棚の端から順に読んでいくのが好きだったのです。だから、ジャンルに統一性がありません。何ごとでも関心を持てば夢中になれました。

そしてある日突然、興味がなくなって止めてしまいました。そういえば、英語会話も中学1年の頃から1年半ほど、毎日のようにラジオを聞き続けました。誰か聞かせる相手がいた訳ではなく、どの程度正確に発音できてるかも全く分からないのですが、「喋れてる感」が嬉しかったのです。勉強として続けておけば良かった、と今でも思います。

どちらも習慣のように見えて、実は単なる習性(気質)だったわけです。そして、それが発動するには、「独り」と言う条件が必要でした。小学校の図書館は、人が少ないだけでなく周囲の空気も穏やかでした。本屋は立ち入るだけでくたびれてしまうので苦手だったのです。英会話も成人になって対面の学校に入りましたが、続きませんでした。

【人と関わることはつらい】

直観的に物事を正しく見抜くことはできても、それを人に理解してもらうにはとても苦労しました。また言動や考えをしばしば誤解されてきました。これは、思考様式や行動パターン、感情の波立ち方が周りの人と違っているから起きるのです。

積極的に「独り」が好きと言うよりも、人と関わることは、くたびれることであり、煩わしいことだったのです。何となく相手の心が分かり、それを汲んで感心したり同情すると、バカにされたと受け取られるなど、意思や感情を表現したり、相手が受け取り易い形にして伝えることが苦手だったのです。そして、誤解されたくないけれど、されない工夫もされた誤解を解くのも煩わしい。そんな私が無意識に選んだ解決策は、人との関わりを減らすことでした。

その背景にはこんなできことがあります。小学校一年生の頃、テストの時間に見回りしていた担任の先生が、突然、私の答案を取り上げて「隣の子を見たな。あんたにこの問題解けるはずがない。」と叫んだのです。 そしてとうとう答案用紙は返してもらえませんでした。

事実はどうだったかと言うと、私の隣の子に先生が問題の解き方を教えていて、それでもその子は解けなかった。ところが、部分的に聞こえた(はずの)私が解いてしまった。

つまり全くの濡れ衣なのですが、「独りで完成させてはいけない」「解き過ぎてはいけない」「世の中は理不尽」「人というものは一方的」という幾つかの自分を縛る信念(ビリーフ)がこの時に出来たようです。

なお、高校時代のテストでは、「ケアレスミスが多い」と指摘されていました。正答率が低い難しい問題が解けているのに、簡単な基礎問題で間違えているので、点数が伸びなかったのです。この傾向は就職してからも続いていて、「最後の詰めが甘い」と指摘されていました。信じられないかもしれませんが、私は無意識のうちに調整して「正答数」を増やし過ぎないようにしていたのです。自分の能力を発揮しないよう無意識がブレーキをかけていたのです。

【主張ができない青年期】

中学では公立高校の受験に落ちて 私立の学校に行かせてもらい、大学受験に失敗して予備校に行かせてもらいました。親には随分と経済的な負担を強いたものです。このことで何かにつけて妹と比べられ辛い思いをしました。

大学を卒業する時には、地元の関西ではなく先生が紹介してくれた関東の会社に行くことになりました。

初めに紹介された会社は外資系で本国勤務があったため、母親に、親を捨てるのかと責められました。そして私は、苦労をさせた負い目から自分の希望を通すことはできませんでした。それで、妥協したつもりでしたが、母は地元に就職しないことを嘆いていました。

ようやく仕事に慣れてきたある日のこと、自分の失敗で大きな事故を起こして 怪我人も出してしまいました。 消防車3台。 救急車1台、 パトカーがやってきました。 地元新聞にも乗りました。通院一ヶ月の負傷者が一名、 入院50日の負傷者が一名。 入院したのが私であったことが、せめてもの幸いでした。後で聞かされたのですが家族は医師から「今晩が峠ですが、覚悟してください」と告げられていたとのことです。血圧を上げる薬を一晩中打ち続けるのを見ていた、と聞いたのは最近の事です。担当医は私が退院する時に、「君にはいくつもの奇跡がある」と教えてくれました。

多大な迷惑をかけながら、会社をクビに なったり減俸処分になることはなく復帰した私を、職場の仲間は前と同じように迎えてくれました。 これであいつの出世の道はなくなったという声も聞こえてきましたが、 私は、恩返しと思ってがむしゃらに頑張りました。やがて海外のメーカーへ出張して、現地の作業員と打ち合わせたり指示する立場になりました。

同時に、 なんのために生まれてきたのか、人生の意義とは、といったことを考えるようになり、 手相やタロットカードといった占い、哲学、宗教、守護霊、前世、因縁などの本を読みあさりました。神社への月参りも始めました。そうして 人のことを占ううちに、占いには人の過去、現在、未来をかなりの正確さで示す力があると言うことを実感したのです。また、退院後のリハビリに通っていたストーンパワーの治療家に勧められて除霊を受けたりもしました。そして、「運命」の取り扱い方を学んだのです。

何年かは睡眠3時間 程度の日々が続いたと思います。

【朝が来ても目が覚めなければ良いなあと思って眠りにつき、ああ、また朝が来て目が覚めてしまった、辛い一日が始まるんだなあ、と思う日々】

そんなある日、 おかしなことに気づきました。

出張でアポイントを取るときに。移動の時間を考慮できなくなっていたのです。例えば、東京の打ち合わせが2時に終わるのに、 次の打合せを千葉で2時から入れている、といった具合です。

また、こんなこともありました。 高速道路を運転している時に突然助手席が驚いた声を上げます。「おいおい。今の出口で降りるんじゃなかったの?」

「あ、ごめん。なんか居眠りしてたみたい」と私が答えると、「いやいや、普通に会話してたじゃんよ。」 と返ってきます。実際のところ私は会話を全く覚えていないのです。

また、仕事場で私が使っているパソコンには、 同じような名前の同じようなやりかけの作業ファイルがたくさん保存されている有様でした。 昨日何をしていたかどこまでやったかを、きれいさっぱり忘れていて、そのことにまったく気づいていない、と言うことが頻発してたのです。

帰宅して玄関を開けようとして、鍵を会社のロッカーに忘れてきたことに気が付いたり、 家の扉の前まで来て鍵が刺さったままであることを見つけたり。1度や2度ではありませんでした。しかし、こういった自分の体調について、職場では誰にも話したことはなかったのです。

【こんなに苦しいのにどこに行っても原因が分からないまま医師から見放された】

そして体が鉛のように重く、呼吸をするのもつらい毎日でした。

心療内科、総合病院、鍼灸整骨、カイロプラクティック、いろいろとさまよいましたが、原因も対策も分からないままでした。正確には総合病院で糸口があったのですが「こんな数字はありえない。何かの間違いです。」と否定されたのです。何度も通ってくる私に、ある医師はこう言いました。 「具合が悪いと言って、病院に来る人はたくさんいるけれど。 本当に病気の人なんて居ませんよ。あなたはどこも悪くありません。」

そんな日々が10年ほど続いた時に、「このままでは親よりも先に死んでしまう」そう感じた私は、自分で調べたことを元に、ある検査を医師に要求したのです。診断結果は睡眠時無呼吸症でした。血中の酸素濃度70%。 今でもこの数字を医療関係者に伝えると「あり得ない!何かの間違いです」と言います。

酸素不足でもっとも深刻なダメージを受けるのは脳です。記憶が消えやすく、物事を考えらえず決めれないのは、これが原因でした。

眠るときに機械をつけて強制的に空気を送ることで、症状の進行は止まりました。しかし、 低下した体の機能や頭の働きが戻るという実感はありませんでした。

プールで10メートルほど泳ぐと、目の前が真っ白になり、脈拍は200打/分を超え、1時間たっても平脈に戻らないのです。出勤、帰宅、出張の時に移動にかかる時間を見積もることは相変わらず困難でした。

【カウンセリングで、自分の気質を知らず人と適切に関われていなかったことが生きづらさの原因であり最大のストレス源と分かって、回復の兆しが顕れた】

さて、研究開発の職から総務系の職に移された私には、気になる職場がありました。 会社の将来を託して新設されたその職場は、離職率がほかの部署に比べて高いのでした。

直接の関わりはないけれども、何かできることはないか?

そう考えて、あれこれと調べているうちに「行動変容」という1日セミナーを見つけました。

1日セミナーに出た私は、 この心理学とカウンセリングを全部学べば あの職場の役に立つことができるかもしれない、そう考えて自費で全行程を申し込みました。

学び始めて分かったのですが、その講座はカウンセリングにより心身をセラピーする講座でした。そこで、私は、自分がADHD(注意欠陥多動症、発達障がい)であること。自分自身が本来持っている考え方や行動パターンを抑え、周りに合わせようと無理を重ねてきたために、そのストレスで心身が極度に疲弊してしまい睡眠時無呼吸症に陥ったのだということが分かりました。50歳の時のことでした。

同時に、 世界中を見まわすとさまざまなジャンルにADHDの気質をもった有名人が居るということを学びました。ダニエル・ラドクリフ、トム・クルーズ、ビル・ゲイツ、トマス・エジソン、石原慎太郎などが以前から知られています。日本では注意欠陥多動症、あるいは発達障がいの一種として分類されますが、適切な環境の中では、ほかの人が真似できない飛び抜けた成果を出すことが多いのです。今ではネット上で多くの著名人を見つけることができます。

ここ何年かの間に大人のADHという言葉が広まり、珍しくはなくなってきました。 そして、仕事で失敗しないための様々なノウハウも紹介されています。興味深いことに、それらのコツや工夫には、 ADHDでない人が仕事の効率を上げるための工夫、コツ、裏技として勧められているものが少なくありません。

つまり、これらの工夫を自分に合わせて行うことで、ADHDでない人よりも大きな成果を上げたり、大きな貢献をすることができる、快適に過ごせるといった可能性が広がると言えます。そして、実際に手に入れることができるのです。

特に、創造性が求められるジャンルでは、新しいものを生み出すこと、表現すること、人に感動を与えることなどが期待できます。もちろん、大きな貢献をひっそり行うこともできます。

【 本来の自分を知ることで楽に才能を発揮して周りに感謝される環境へ】

私は、自分がADHDであることを知らなかったために頑張り方を間違えて、ストレスから心身に不具合をきたし、30数年の会社員生活の中で、20数年の遠回りをしてしまいました。けれどもカウンセリングを受けた結果、自然に自分が変わっていきました。

応援してくれる人がいることに気づき、それを受け入れることができるようになり、業務が変わるごとに必要と思われる勉強をして検定なども受けました。関連が薄い様々なジャンルについて、国家試験の取得や検定合格をしたのです。

例えば、知的財産技能士2級、ビジネス実務法務2級、エネルギー管理士、生産マイスター1級、第一種衛生管理者。また趣味ではヘルスフードカウンセラー1級、認定製パン講師、認定料理講師、マクロビオティック認定講師などなど、どれも多忙な業務の合間を縫って短期間の勉強で合格できました。

そして定年退職する少し前には、これは今後の試金石になるよ、とか、給料上がるかもしれないから定年後も居てくれるよね? と慰留される程度の成果を残すことができました。

ここまでお読みくださってありがとうございます。

過去の私は、人生の生きづらさ、人間関係の息苦しさ、を感じながらも、どうしたら楽になるのか分かりませんでした。そんな私に、いまなら「無駄な遠回りをしないカウンセリングという道があるよ」と告げることができます。

振り返ると、小学校6年生の修学旅行で参拝した伊勢神宮で「人の役に立つ人間にしてください」と願いました。その時は、その後140回以上も参拝するとは夢にも思いませんでした。その願いを叶えるために苦労をさせたのではないかと教えてくれた人もいます。

あなたの抱えている悩みがなんであるのか、それはどうしてなのか。今、私には分かりません。だけど、あなたは、それを私に話すことができるし、話さないままカウンセリングを受けることもできます。

最後までお読みくださりありがとうございます。

なにごとか感じるものがあったのでしたら、ぜひお試しカウンセリングをご利用ください。

お待ちしています。